鹿児島県肝属群南大隅町-情報発信ポータルサイト-

受け継がれた心のアルバム

南大隅に受け継がれている伝統や伝説、風習などを紹介します。

霊地旗山

取材日:2013年10月20日(日)


 錦江町池田にある旗山神社の境内に5アールの竹林が二ヶ所あり、薩摩藩における戦争用の旗竿として
ここの竹を使用する事が慣例になっていた。
 島津公が朝鮮征伐及び琉球出陣の折にここの竹を用い、薩摩隼人が功績をあげたと言われる。
応仁の乱(1467~1477年)の頃、薩藩当主、島津九代忠国が兵道家(最も信頼していた家来)野村氏に命じ、肥後国(熊本県)志目岐岳から良質の竹を旗山神社の境内に移植し、旗山大明神として祀った。出陣の際は、必ず野村氏を派遣し旗山の竹を切ったと伝えられている。
 
霊地旗山に、まつわる伝説。
 日露戦争(1904年)の時、大隅半島出身の一兵士が、敵の様子を探るため、敵の陣地に入り込み、情報を集め帰ろうとしたが、味方のいる方向がわからなくなり、途方にくれた時、白髪の老人が現れて、味方のいる所を指差して教えてくれた。兵士は何度もお礼を述べ、名前を聞かせてくれるようお願いしたが、「わしは、池田の旗山だ。」と言うだけで、その姿は消えてしまった。兵士は、教えられた方角に足をすすめ、無事味方のいる所に帰り着いた。
兵士が故郷に帰り、この話をしたところ、たちまちこの話が広まり、その白髪の老人は旗山神社の神の化身に違いないと言われるようになり、旗山神社を戦争の神様として祭るようになった。と伝えられている。
旗山神社は、戦争の神様で知られ、太平洋戦争中は近くの村や町の人はもちろんの事、遠く県外からもお参りに来る人が絶えなかったという。

  • 旗山神社の鳥居(秋)イチョウ    

    霊地旗山

  • 旗山神社の鳥居(春)サクラ

    霊地旗山

  • 鳥居と本殿、仁王像の衛。

    霊地旗山

地図

【住所】

錦江町池田

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